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須坂クラシック美術館について

History |歴史|

明治から昭和にかけて生糸の町として栄えた須坂。蔵の町並みが残る旧市街の玄関口にあたる場所に建つこの屋敷は、明治初期に牧 新七(まき しんしち)によって建てられ、現在は須坂市有形文化財に指定されています。
 牧家は、江戸時代から須坂藩御用達の呉服商で、明治時代に仲間とともに須坂銀行を創設。山一製糸を興し、製糸業の発展とともに事業を広げ、殖産興業や地方自治に大きな功績を残しました。
 明治40年に山一製糸の工場が火災になり、大正に入って屋敷は越 寿三郎(こし じゅさぶろう)が息子・栄蔵の住居として譲り受けました。寿三郎は、製糸業はもとより、銀行、電気事業、化学工業などを起業し、全国的にその名を知られました。
 昭和8年には、酒造業を営む本藤家が譲り受けました。当主・本藤恒松(ほんどう つねまつ)は政治を志し、県会議員、衆議院議員を務め、酒造業界にも貢献しました。
 いわばこの屋敷は、明治・大正・昭和の賛辞代にわたり、政・財界から多くの人が訪れた須坂の歴史を秘めたサロンといえます。
 この屋敷は、平成7年8月、日本画家の岡信孝画伯からの寄贈を受けた古民芸コレクションを収蔵する「‐岡信孝コレクション-須坂クラシック美術館」として開館しました。館名の“クラシック”には、“蔵”の町と古き美しき“もの”への想いが込められています。

Architecture |建築|

 須坂の製糸業の隆盛期をしのばせる屋敷は、長屋門、土蔵、主屋、上店と4棟を残しており、現存する須坂の伝統的町屋の中でも最大規模の家の一つです。
 上店は、かつて店舗として使われた建物で、当時の風格を感じさせる一枚板のケヤキ材や、天井の梁などが見どころです。
 土蔵、主屋、上店には、それぞれの展示室が設けられ、建物の趣きとともに展示をお楽しみいただけます。
 外観から印象的な土蔵は、砂摺り仕上げの2階建てで、基礎には丸い大きな石を削り合わせて積む“ぼたもち石積み”技法が見られ、この地域の特徴を表わしています。
 主屋は、広い間取りに、豊富に使われた木材、当時珍しいガラス障子、書院の意匠など贅沢で凝った造りをいたる所に見ることができます。主屋二階には、一階座敷裏の物置部屋へと通じる“抜け道”があり、有事に備えていたことがうかがえます。

Collection |収蔵品|

 “庶民のよろこびと悲しみにつつまれた品によって、あたらしき美の発見のあること”との想いがこめられた日本画家・岡信孝氏のコレクション約2,000点を中心に、大正末期から昭和初期の着物や、大正ガラス、李朝民芸など、昔の生活の品々を展示しています。

須坂クラシック美術館と岡画伯

寒牡丹出会いは、当館の開館する以前にさかのぼります。岡信孝画伯は、当時保存運動の声が上がっていたこの家(当時・本藤家)を視察され、自分の生まれ育った家とそっくりの間取りを持つ家であることに驚きました。偶然にも視察の前日、岡画伯の生家は都市計画道路敷設のため取り壊されていたことから、「ご先祖様が家を返してくれたのだ」と、運命的なものを感じたと話されています。
須坂の歴史を刻む蔵の町並みを保存したいという人々の想いと、岡画伯の感動から、建物を保存し、美術館として活用するという取り組みが始まりました。

土蔵2階は岡信孝画伯の絵画作品をご覧いただける記念室となっています。コレクションと岡画伯のつながりを感じていただければ幸いです。

岡信孝 略歴 日本画家
1932年1月23日生 川崎市出身 横浜市在住

1950年、祖父である川端龍子の主宰する青龍社に入り画家として経験を積む。1966年、龍子の没後、青龍社は解散、以後無所属となり精力的に古典活動を展開する。義父に浜田庄司。信州へのゆかりは深く、善光寺本願へ天井画を描き寄贈している。
他 増上寺光摂殿天井画及び襖絵制作。大英博物館に神楽面寄贈。


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