HOME>小池千枝の生涯
- 1916年
- 長野県須坂市で米穀商を営む父花園亀(ヒサシ)、母咲(さく)の第二子長女として生まれる。
- 1933年
- 須坂高等女学校卒業後、文化裁縫女学校(現、文化服装学院)本科に入学。
文化裁縫女学校で最初に出会った同級生
後列右から3番目 - 1934年
- 研究科に進む。
- 1935年
- 研究科卒業と同時に学院に残り教員の道を選ぶ。助手として最年少19歳の「先生」となる。
文化裁縫女学校の助手になる
最前列右展覧会
後列中央 - 1940年
- 兄の友人であった商社勤務北京駐在の長野市出身の小池正治と結婚。
学院を退職し北京へ。
小池正治と結婚。北京へ - 1944年
- 夫に召集令状が届いたため小池圭子・頌子の2人の娘を連れて須坂市の実家
に帰国。
長野市にて - 1945年
- 夫が沖縄で戦死。実家の米蔵に座り机を並べ洋裁教室を始める。
- 1945年
- 文化服装学院の誘いによりに学院に復帰。単身東京へ。
- 1951年
- デザイン科を新設し初代デザイン科長に就任。
デザイン科1期生入学 デザイン科1期生と デザイン科1期生と 授業風景 - 1954年
- 38歳のとき母親に娘2人を実家に預けて単身渡仏。
見送りを受けパリに向かう。東京駅で 秋田丸 - 1954年
- 途中エジプトにて民俗人形コレクション第1号となる人形を購入。
- 1954年
- パリ・オートクチュール組合学校(半官半民営)の外国人のための教室に入学。
- 1954年
- クラスメイトにイヴ・サン=ローランが、隣のクラスには、カール・ラガーフェルドがいた。
- 1954年
- フランスではオートクチュールの立体裁断に衝撃を受ける。
パリに持って行った唯一の着物パリ パリ ディオールの店を訪ねて - 1955年
- フランス製の人台(ボディー・トルソー)1体を抱え帰国。
パリから帰国
立体裁断の講座を開く「洋裁」ではなく「服装造形」を強調。日本人向きのボディの作成にとりかかる。 - 1957年
- 文化服装学院として男子学生の入学を推進。
初代男子学生と - 1960年
- 文化女子短期大学(現文化女子大学)の助教授に就任。
- 1964年
- 文化女子大学家政学部助教授に就任。
- 1965年
- 文化女子大学家政学部教授に就任。
立体裁断の授業風景(1665年) - 1976年
- 文化服装学院副学長に就任
- 1983年
- 同学院の10代目学院長に就任。
学院長就任お祝いの会 - 1985年
- 専修学校教育功労者文部大臣賞受賞
- 1989年
- 財団法人衣服研究振興会第10回「服飾文化賞」受賞
- 1990年
- 文化服装学院名誉学院長に就任(2002年まで)
- 1993年
- 勲四等瑞宝章受章
- 1994年
- 世界の民俗人形コレクション約1,200体を須坂市に寄贈
- 1997年
- 世界の民俗人形博物館名誉館長に就任
世界の民俗人形博物館名誉館長に就任 イブ・サンローランアトリエ(2004年) ケンゾーさんとバスチーユの家(2004年) 88歳のお祝い(2004年) - 2007年
- 第14回 信毎賞 受賞
信毎賞 受賞記事 - 2014年
- 5月28日 老衰により死去。98歳
小池千枝先生を偲ぶ会(2014.12.10 須坂 世界の民俗人形博物館にて)